私たちに苦しみが起こるワケ

前回、

あなたは自分で苦しみたくて、
苦しみの体験をしたくて、
イジワルな人を
あなた自身で
あなたの世界に創り出したのです。

って書きました。

これ、
スピに疑わしい人からすると
「 はぁ!? 」
って思えるような胡散臭い記述かも

ですよね。

ってことで、もう少し説明を加えます。

私たちは苦しいこととか
痛いこととか、
辛いことは経験したくなんてないです。

誰だってそうですよね。

でも
地球にはたくさんの苦しいことや悲しいことや辛いこと痛いことがあります。

私たちはそんなイヤなことをなぜ経験しなくちゃならないんでしょうか。

なぜこの世界には ” 苦しみ ” というものがあるのでしょうか。

スピの世界では、

「魂を磨くために生まれてきた」とか、
「魂のレベルアップのために輪廻転生を繰り返している」とか、
「苦しむために生まれてきた  ( 某カウンセラー談  )」とか、
「辛い思いがしたかったから  ( 某カウンセラー談  )」とか、

スピ本からの影響もあり、
スピに詳しいブロガーさんたちがこういったことを語り、
それがそのまま疑われることなく広まっています。

最近見かけたあるブログには、

「私たちは喜怒哀楽を感じることのできる人間をやってみたくて遊んでるだけ。私たちはそれを楽しんでいる」

と書かれていました。

この人にとってはこれは
自分だけが知っている ” 宇宙の秘密 “ らしいです。

当然、この「喜怒哀楽」に ” 苦 “ も入ってるんですよねぇ?

「喜怒哀楽を楽しんでいる」
「遊んでるだけ」

ですかぁ………。

……この人はフワフワ系スピの代表のような人なので………。

まぁ、いいんじゃないですかね………。

……さて。

スピ界隈の人なら

「私たちは体験するために生まれてきた」

というフレーズは聞いたことがあると思います。

これはスピの人たちの間ではもう 当たり前の定説 になっているのですが。

これね、
ちょっと違うんですよね。

これじゃ説明が足りてないんですよね。

私たちは
「体験するために生まれてきた」
わけではありません。

そうではなくて、

私たちは
自分がまいた種を
自分で回収するために
( 必要にかられて・致し方なく )
苦しみの体験をしているんです。

自らまいた を刈り取るために、
私たちは悲しみや痛みの体験をしているのです。

私たちはこの人生で
自分のまいた を自分で刈り取らなくてはならないんです。

他人に刈り取ってもらう
なんてことはできないからです。

その に気づくために
私たちは痛みとか辛さなどの
苦しみの体験をしてるんです。

苦しみの体験がなければ
に気づけないからです。

種に気づくためには
様々な思考や感情が必要です。

参照記事⇩

思考や感情っていうのは
自分が何かしらの体験をすることによって発生するものですよね。

嬉しい体験には 主に 明るい思考や感情が、
辛い体験には 主に 暗い思考や感情がわきます。

思考や感情の元になっている 種 (自我やエゴ) を見つけるには
その種から生まれた体験を 経験しなくてはならない


のですよ。

なので私たちは

種 ( 自我やエゴ ) を見つけるために
嬉しい楽しい体験もやるし、
痛い悲しい体験もやっている

のです。

ってことで、

「私たちは体験するために生まれてきた」

というのは言葉足らずで中途半端な説明ということになります。

これね、
見方によってはいいかげんで無責任な言説とも言えます。

「じゃあ、苦しい体験をするために私は生まれてきたんだね……」

ってそこで終わりますからね。

それだけを言われてもそこに救いはありませんからね。

苦しみの根本にある種 (自我やエゴ) は
ノータッチのまま
ほったらかされたままってことですからね。

また、

「苦しみは、味わい尽くせば、消滅する」

ってやり方の 自己観照・観察 を教える
悟り系スピの人もけっこういらっしゃるんですが。

体験し、味わいし尽くせば、消滅する 
なんて、
私に言わせれば子供騙しなんですよね。

根本の種から掘り起こしてしまわなければ
また別の似たようなことが起こりますのでね。

そういう自己観照・観察のやり方では足らないんですよ。

せっかくやっても
覚醒には繋がらないやり方なんですよ。

せっかくやるのなら
覚醒につなげていかなきゃもったいないんですよね。

( 覚醒なんてしなくてもいいって強がり言う人もいるようですが )

だから悟り系スピの人が自己観照・観察やっていても
悟りにまで至れる人がほぼいないのです。

”種を刈り取る“
という考え方、やり方 (メソッド) は、
スピの人たちの中にもまだほとんど普及していません。

これでは悟りにまで至ってる人が ほぼいない のも頷けます。

あ、それから、

自分を苦しめるイジワルな人や
病気などは、
種を見つけるキッカケをくれてるだけ
種を見つける協力をしてくれてるだけ

です。

なので厳しい言い方をすると、

イジワルな人や病気を
恨んだり憎んだりするのは
本当は筋違い

なんですよね……。

自分の覚醒 ( 気づき・目醒め ) のために
イジワルな人や病気が存在してくれていたのだと
腑で解ると
感謝しかなくなります。

結論。

私たちは
自分のまいた種 ( 自我やエゴ ) を
自らで掘り起こして
昇華させることができれば、
あらゆる苦から解放 ( = 悟り ) されます。

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