縁なき衆生

★ 連続してますので先にこちらをどうぞ

前回、

スピ界にまで来ているのに、
自分が何をやっているのか
自覚すらできない。

と 書きました。

これまで何度も書いてきてますが、

中身がまだ3次元のレベル辺りなのに
頭だけで4次元のスピ界に入ってきて、

スピリチュアルの教えや知識の
自分が簡単に受け入れられる ( 自分に都合のいい ) 所だけ抜き取って、

甘々でスピ界に定住してる 人がめちゃんこ多いのですよね。

3次元のステージ  ( 社会生活の中での自己啓発 )  もちゃんとやれていなくて、

4次元のスピリチュアルでも自分に都合のいい所だけ抜き取るようなことやって、

まだそういうレベルの人は

自分がやっていることを
自覚できなくても仕方がないよなぁ……

と私は思えてます。

自分と向き合う

というのは

自分がやっていることを隅々まで自覚していくことであり、

自覚ができないんじゃ向き合いなんてのはさらさらムリです。

自覚すらできない
イコール
自分と向き合うことすらできない

ってことですよね。

そんなレベルで
スピ界をマトモに進めると思ってますか?

ソッコーで魔境にどっぷりハマり込むのがオチです。

まだスピ界に入って来るには早すぎる人たちが
スピ界に入ってきて
遊び感覚で
スピ界を茶茶無茶にしちゃってる
のですよね……。

スピ界を進むだけの
人としての精神の成長が成せてない

のですよ。

精神の成長を経てスピ界をしっかり進んで行ける人というのは
自覚と共に内観、昇華をコツコツやっていき、
そして少しづつ覚醒していく
という道程を行きます。

参考記事

前回、
「縁なき衆生は度し難し」
ということわざを使いました。

このことわざは
「人の話を聞かない人は救いようがない、どうしようもない」
という意味ですが、

「縁なき衆生」
というのは
仏との縁がまだできていない
ということです。

それは

まだ「真理」を知る縁ができていない

ってこと。

まだ「真理」を知るレベル、時期にまで来れてないよ

ってこと。

人の話も聞くこともしない
自分に都合のいいことしか取り入れようとしないような
精神レベルの人が

真理やスピリチュアルが本当に説いてることが理解できるわけがないのだよ

ってこと。

その人の精神が様々な体験を経て成長していくと、
自ずと
真理の探求との縁ができてくるもの。

そこまで精神の成長が成せてないのに

スピリチュアルも真理も
わかるわけがない

のですよ。

私はそれを非難してるのではなく、

精神の成長に必要な経験を
まだ十分にやれてないってことを
自分で分かろうよ ( 自覚しましょうよ )

って言いたいの。

( これはスピをやってる大半の人に当てはまってるのですよ。自分は関係ないとか思わない方がいいです。自分の心に聞いてみたら分かるはず……なのだけど、ほとんどの人がやらないでしょうね。ホントのことを知りたくないから )

真摯に生きているなら
どんな人でもちゃんと
「真理」を知る縁は自然にできてくるのです。

もちろん、
4次元に来てても3次元のレベルの学びを同時進行することはできます。

でもそれはスピリチュアルエゴがあると難しいんですよ。

3次元の学びがやれてない人って、
スピリチュアルを知ることで
スピリチュアルエゴにあっさり囚われてしまうんです。

更に、
スピリチュアルエゴに囚われてしまってることにも気づかない。

それがまた、
人の話を真摯に聞いたり取り入れようとしなくなることにもつながる。

悪循環にハマり
スピ界 ( 魔境 ) に定住することになる。

( 実際そういう人がうじゃうじゃいますからね、まじで )

何度も言ってきてますが、

慢心せず、
真摯に丁寧に自分のペースで
自分を成長させていく気持ちを持っていてほしい

そう思います。