最近 悟り系ブログで
「悟っても自我はある。無くならない」
と言ってあるのを見かけました。
「自我は完全にはなくなりません。肉体がある限り、自我がないと困ります」
「覚醒すると、真我に従順な僅かな自我だけが残ります」
とも言われてました。
……… やっぱりな ………。
悟りにまで至れていない人って
こういうことを 断定して言う のです。
このブロガーさんは他にも
「覚醒後は真我として」
「覚醒すると私は人間ではなかったと分かります」
と書かれていたので、至るまでにはなってないことは明白なのです。
でも 自分は至ったと思っている のでこのように 断定して書いてる のでしょう。
このブロガーさんは
内観のやり方を説明してあり、
内観することをお勧めしてあったのですが、
このブロガーさんご自身がやってる内観は
私がやってきた内観とはズレていて違うものでした。
私に言わせたら
その内観は
覚醒 ( 悟り ) につながる内観ではない。
それはただの観察、観照に過ぎないもので、
それでは悟りにまで行けていないのも頷けるのです。
でも自分では「内観やってきたので悟りにまで至れた」と思い込まれてるのです。
悟っても自我はあるのかどうか。
自我は完全には無くならないのか。
その答えはこの記事⇩に書いてます。

でも正直、
……読んでほしくない……
と私は思うようになりました。
この記事を読んでも結局、
自分でそこまで行ける人は恐らくいないだろうし、
パクって自分で分かった風に書く人もいるだろうし、
頭で分かっただけで生悟りになるだけで終わる人が大半だろうから。
私は生悟りを増やしたいんじゃないのです。
それに。
経典や仏典だとしてもスピ界の面々は捻じ曲げて読んだりする。
真理をどれだけ伝えようと、
真っ直ぐに伝わるのはほんの僅かなものなのでしょう。
……はっきり言って読まれたくない気持ちが強くなってます。
なのであまり気軽に読まれたくない有料記事を値上げしました 爆
読む読まないはご自分で判断されて、
読まれても
頭だけで分かった生悟りさん にだけはならないでほしいなと思います。